最近小学部の塾生が、タブレットを持ってきて宿題をやっている。で、算数の計算をよく見ると答えは四択で、途中経過は無し。だいたい計算しておよそ答えの検討がつくと、それに丸っとしてしまう。
最近の報道で、ITC最先端だったフィンランドでは、タブレットから少し脱し始めているような報道があった。自分も書くことの重要性は以前から認識しているつもりである。8年前に塾としてタブレットを導入しても!である。(まあタブレットに書くこともできるのであるが?)
塾としてタブレットを使って思うことは、これが全てベストではない!という事である。書き込むというプロセスには、きっと何か人類に大切な事が潜在的にあるように思えてならなかった。こと演習に関して、途中のプロセスをすっ飛ばして、答えを選択することが小学生にとって良いことか?とやはり思うのである。以前一つの問題について、事細かく黒板で教えた事があった。
要はその年齢、学年に合った使い方が存在しているのである。そして超えてはいけない垣根も存在するのではないか?と思うのである。ましてやAIを用いて文章を作成するなんて、PCにとってはお茶の子であり作文などはあっという間にできてしまう。でもいつでもAIを使っていれば、本当の文章作成能力は退化していくのではないか?
何がなんでもタブレットやPCをというのは、最近ちょっと待った!!と思うようになった。現場で教えていてである。選んで使って行く(学生には)のがベストではないか、しかも彼らの年齢ではどれが良いか悪いかなど、判らないだろう。
ここにも一つの闇があるような気がする。自分はタブレットやP C、AI否定論者ではないが。
春の宵の遊歩道、考えながら歩いた。